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1.02.2012

放射線と生命は本来相容れない

震災に伴う原発事故で、「原発の安全神話」は完全に覆されたが、今度は,その事故に伴う放射性物質拡散による危険性を少なく見せるために「放射線安全神話」を、政府も関係機関も国民に納得させようと懸命なようである。その有力な、ほとんど唯一の根拠はICRPの制作による基準である。それを、多くの人は、科学的根拠として、金科玉条の如く信じていたようであるが、最近のNHKの報道によって、それを作った人達自身が、科学的根拠を否定する発言をしていることがわかり、とくに低線量内部被曝に関しての彼らの基準値的なるものはなんら科学的根拠のないものであったことが暴露された。
 筆者は、かねてより低線量放射線による内部被曝について、ある程度は科学的な根拠に基づいて、ICRPなどの考え方に疑問を呈してきた(日刊ベリタ2011.04.25、2011.05.04、2011.06.18、2011.06.27、2011.06.30)。このような考え方をさらに押し進めていくと、(高エネルギー)放射線は、本来生命とは相容れないことが見えてくる。その科学的根拠を、最近当地で講演(*)したので,その概略をここに報告する。ここから、見えてくることは(高エネルギー)放射線は、生命に限らず、地球上のあらゆる物質(化合物)に破壊的に作用するのであり、非常に難しい綱渡り的な物質系である生命に、それが顕著に現れるが、その他の物質にも破壊的に作用する。
原爆も原発も、原子核分裂反応を利用する。一方我々の生命を始め、地球上のあらゆる物質は化合物とその反応で成り立っている。化合物の世界では、原子がついたり離れたりするが、原子を構成する原子核は変化せずに、その回りを回っている電子の動きのみによっている。この動きに作用する力は、いわゆる「電磁力」で、比較的弱い力である(プラスとマイナス電荷が引き合う力や磁石が引き合う力)。その力に基づく化学反応に伴うエネルギー変化は、物質を構成する原子や分子当たりにすると、1-10 eV(エレクトロンボルト)の程度である(エレクトロンボルトなどのエネルギー単位は下の注で説明する)。これよりかなり大きいエネルギーをもった粒子が、こうした原子や分子に衝突すると、様々な現象が起るが,分子から電子を蹴り出したり、(原子と原子を結ぶ)結合を切ったりする。ということは、分子を破壊する。
さて、原子核分裂に代表される原子核レベルに作用する力は、「強い力」といわれるもので、化学的世界で働く「電磁力」よりも桁違いに強い。そのために、核反応に伴うエネルギー変化は、化学反応のエネルギーの100万倍以上大きい。放射性物質が放射性粒子(α、β、γなど)を放出する反応は、原子核に変化が起きる(不安定な原子核が安定な原子核になろうとするため)現象で、この変化に伴うエネルギーが放射線粒子に担われ、それらは、KeVからMeV(K=キロ(千倍)、M=メガ(百万倍))程度である。すなわち、化学反応に伴うエネルギ−変化の数千倍から百万倍ほど大きい。
放射線の影響(被曝量)を評価するのに、シーベルト(Sv)が用いられている。これは、放射線の生体に与えるエネルギー値で表される;すなわちβ線、ガンマ線では、J/kg(J=ジュール)、α線では、この値の20倍の効果があるとされている。この表現での問題は、例えば、次のような例によってわかる。100Svという被曝量はとてつもなく強いもので、100%が死亡する。しかし、エネルギ−—値から評価すると、(これがβ、γ線とする)100J/kgの被曝で、体温をわずか0.024度上げるだけである。こんな体温上昇で人間は死にはしない。しかし同じエネルギー量でも放射線ならば、100%確実に死ぬ。どこかがおかしい。しかも、体内に入った放射性物質による内部被曝では、外部被曝と同様に1kg当たりのエネルギー値として評価することは無意味である。というのは、内部被曝の場合放射線の影響する範囲は、1kgぐらいの広範囲に及ぶことはないからである。
さて、今度は、放射性物質が、生体内に入り込んで定着し、生体を構成する化合物にどんな作用を及ぼすであろうかを考えてみたい(なお、こうした放射性物質がある場所に定着し、どのぐらい長く居続けるかは、様々な因子に依存するので一概にいうことは出来ない)。放射性物質からは、次々に放射性粒子が出て来る。それらは、回りにある分子に衝突する機会があるだろう。すると何が起るか。電子を蹴り出したり、結合を壊したりする。しかし、これでエネルギーは尽きないので、次々と他の分子とも衝突する。そして蹴り出された電子はさらにβ線と同じ作用をする。どの分子が影響を受けるかは、確率的でわからない。生体の分子には、水、タンパク質、脂質、DNAなど様々なものがある。DNAにあたって、その一部を破壊すると、いずれはガンに発展する可能性がある。生体にはある程度の修復機能があるので、破壊された部分を修復することはある程度できる。これはある程度であり、大幅な破壊には対処できない。水に放射線があたると、水分子を壊して、水酸化ラジカルなどの危険分子を作る。これがDNAを始めとする様々な分子を壊す。こうした反応は、確率的に生体内のどこでも起るので、放射線の内部被曝では、ガンのみでなく、成長しつつある胎児にも、免疫機構などにも起こりうるので、奇形児誕生、病弱(免疫機構損失による)、早期老化現象など様々なことが起こりうる。
被曝量を体全体へのエネルギー(J)で表現するやり方では、こうした放射線の重大な影響が見えて来ないし、とくに内部被曝問題によく対応できない。放射線の脅威をもう一つ例証してみよう。最近、オゾン層が少なくなって、太陽光中に紫外線が多くなった。海水浴などで、紫外線を遮断または散乱させるサンスクリーンを体にぬることが推奨されている。どうしてか。紫外線が皮膚を老化させ(破壊)たり、皮膚ガンを発生させる可能性を皆が知っているからである。紫外線は、化学エネルギーより一桁ぐらい大きいだけであるが、こうした危険性がある。α、β、γ線などの放射線は紫外線の数千倍から数万倍以上の強さをもっている。そのような放射線を持続的に出すものが体内には入ったらどうなるか考えてみて頂きたい。それが、放射線による内部被曝である。
高エネルギー放射線は、化学世界である地球上のあらゆる物質に破壊的作用を及ぼす。その影響は、非常に難しい綱渡り的な生き方をしている生命に顕著に現れるが、そればかりではない。あらゆるところで起きているのだが、顕著でないので、気がつかないだけである。たとえば、原子炉を形作る分厚い鋼鉄も、放射線の影響(高温、高圧の影響もあるが)を受け、次第に脆弱化していく。原子力燃料が燃え尽きた後も、主成分であるウラン−238(他にもあるが)は厳然として残っており、数十億年にわたりα線を出し続ける。このようなものを入れる容器は何であれ、化学物質である限り、放射線によって長年にわたって傷つけられるため、いずれは破壊される。これが、核燃料廃棄処分が、原理的に安全に出来ない根本理由である。
このように、化学世界とは相容れない高エネルギー放射線を出す物質を人間は、故意に原爆と原発というやり方で、地球世界に導入しているのである。もちろん、すでに天然に放射性物質が地球上に存在することは事実で、これは避けようもないし、そして生物は、それをなんとか躱して生きてきたが、これ以上人為的に増やすことは、人類や地球上の生命にとって自殺行為である。なお、この議論の詳細は別な形で発表する。

[注:エネルギーの国際スタンダード(SI)は、ジュール(J)で、現在でも広く用いられているカロリー(cal)とは, 1 cal = 4.184 Jの関係にある。1Jは約4分の1カロリーである。これは通常の目に見えるレベルのエネルギー表示に使われる。電力では、出力の単位として、ワット(W)が使われる。これは1秒間に1J(J/s)であり、エネルギーはワット時(ワットに時間をかけるとエネルギーになる)。さて、放射線の問題では、放射線粒子と分子の衝突という分子・原子レベルで起るので、放射線粒子、分子・原子1個あたりのエネルギーを考えなければならない。これは非常に小さいものである。というのは、例えば,水1gは、水の分子の数にすると、約3 x (E22) 個という膨大な数である。(E22)は1のあとにゼロが22個つく数)ということは、水分子1個はべらぼうに小さな軽いものである。さて、このレベルのエネルギー値として通常使われるのが、エレクトロンボルト(eV)で、1 eV = 1.6 x (E-19) Jである。(E-19)は10000000000000000000分の1というべらぼうに小さい数。こうした日常とはかけ離れた非常に大きいまたは非常に小さい数を考慮する必要があるが、これが、科学を通常扱わない人には難しいのではないかと思う。Sv値の問題は、放射線がこの分子・原子レベルの問題なのに、通常の生活レベルのJで表現したこと、したがって、放射線の生命への影響の根本を考慮せずに定義されていることである]
(日刊ベリタ2011.12.31より転載)

(*)E.Ochiai "Nuclear Weapons and Nuclear Power Plants - their inevitable consequence is dispersal of radioactive material" at World Federalists Mtg on Nov. 17, 2011, and at Museum of Anthropology, University of British Columbia, on Nov. 26, 2011

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